2018年7月14日土曜日

許せない社会

 ツイッター久しぶりに復活して、しばらく呟きながら色んな意見交換(?)を読んでいて、あまりにも辛くなって、今、ツイッターはほったらかしになっています。
 そこで交換される批判は、もはや批判ではなく、悪罵や恐喝、何かといえば「おまえは反日運動をやっている中国人・韓国人だ。」と決めつけ、「反日」だ、「パヨク」だ等といった根拠のないレッテルはりです。だいたい中国や韓国の方に失礼ですよ、反日運動家などという決めつけは。そもそも中国人だから、韓国人だから反日運動をやっているなどということはあり得ないです。私には中国の友人がいますし、韓国人の知り合いもいますが、どちらも親日家でとてもフレンドリーな人たちです。なかには日本に対する批判をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。それは日本と韓国・中国との歴史的な問題に由来しており、過去をきちんと清算することなしには乗り越えていくことができない問題でしょう。
 具体的には「従軍慰安婦は存在しない」や、「南京大虐殺はなかった」、「朝鮮人が喜んで働きに来たのであって、強制連行ではない」といった、歴史の事実を歪める歴史修正主義の立場にたつ国会議員が自民党・公明党の政権の中枢に座っていることが大きな問題で、その意味で、日本は本当に侵略という過去を反省し、平和的な関係を構築するつもりがあるのかが問われてもいるのです。

 それにしてもツイッターを見ていると、不寛容な人ばかりで驚きます。私と基本的には同じ考え方を持っているのだろうと思う人まで、自分に対して批判する人が現れると「ネトウヨ」というレッテルをはって、ネトウヨがいかに愚かであるかをこれまたかなりどぎつい表現で書きまくっているのを見ることができます。「ネトウヨ」も「サヨク」も「ハンニチ」もお互いをけなしあって留飲を下げる・・・全く建設的ではありません。
 そもそも「ネトウヨ」と呼ばれる人が、必ずしも右翼ではなかったり、「サヨク・パヨク」と呼ばれる人もむしろ右寄りの人がいたり、「ハンニチ」は中国人・韓国人のみならず日本人も含まれています。なぜ人はレッテルをはりたがるのか。

 一時期、日本人は人を類型化するのが好きな人種なのだと考えた時期がありました。例えば血液型による性格判断なんてのがある。A型だから几帳面で曲がったことが嫌い、O型だから大らかでめったに怒らない、B型だから大雑把で目立ちたがり、AB型だからのんびりしているがテンションの起伏が激しい・・・。昔から十人十色といわれているのに、たった4つの血液型に基づき、性格を決めようとする。テレビでも子供たちを使って、血液型別に行動パターンに違いがあるかのような番組構成の番組を放送する。確かに、日本人は、類型化するのが好きかもしれません。しかし、それではネトウヨやパヨクといったグループ分けをしたがる気持ちは同じようなものだと結論付けることができるかもしれないが、自分と違うグループの人たちに対する暴力的な言葉の投げ付けまでは説明できない。そこにはある種の相手を蔑む感情が隠れていると思われるわけですが、それはどこから来るのでしょう。

 そのこたえの一つとして家父長制はどうでしょう。昔の家父長制の時代から、ウチとソトの区別が存在していて、ウチは運命共同体であり護る対象でした。ソトは時にウチに害をなすものとして立ち現れることもある存在として認識され、ウチとソトの関係はある意味で緊張関係にあります。その緊張関係に由来してウチとソトの対立が生まれ、それが相手に対する攻撃的な言葉として表に出てきているのではないか、というわけです。
 ウチは単にそれぞれの家庭にとどまらず、隣組を意味したり、更にもっと広く村内だったり、あるいは志や価値観を同じくするグループだったり、会社だったり、会社の中の自分の部や課だったりするのです。ソトもその都度変化しますが、いずれにしても緊張関係・対立関係にあるウチ以外の全てということになります。
 冒頭で見たネットの世界でいえば、安倍内閣支持勢力と安倍内閣を支持しない勢力間のそれぞれの側から見た、かつての家父長制の時代から存在したウチとソトの区別に由来する相手への攻撃性の表れではないかというわけです。

 この説明ではまだしっくりこない感じですね。引き続き考えてみたいと思いますが、今日のところはここまで。

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